致死量のキス


キスをするのは昔から好きではなかった。

女を抱いた時も、相手が誰であっても、いつもするりとかわしてきたのだ。
「まるであなた、娼婦みたいね。唇だけは守るだなんて。誰に操を捧げているの?」
女の誰かがそんな言葉を口にする。あかく紅を引いたその唇が悪戯っぽく弧を描く。
別にそういうわけじゃない、そうかぶりを振る。
「…そう、誰か好きな人がいるのね」
己の唇に人差し指を当て継いだ女のそのフレーズに一瞬、荒垣は言葉に詰まった。

『好きな人』 そう言われて脳裏に浮かんだ人物。

正直よくわからない。あいつへの想いがどういうものなのか。
幼馴染。大切な人間。それ以外に一体何があるのだろう?一体何があるというのだろう?

キスをするのは昔から好きではなかった。

何もかも唇から全部想いが零れてしまいそうだったから。
隠してきたすべてのことが一瞬で台無しになってしまいそうだったから。だからおまえとは絶対することはないと思っていた。
おまえとは。

--- なのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう?

そうっと押し当てられた唇への柔らかな感触。瞳を閉じた彼の貌が目に入る。
孤児院時代からずっと横で見てきたアキの表情。こんなに間近に見たのはいつ振りだろう?
意志の強いまっすぐなその瞳は今は伏せられ、長い睫毛が蔭を落とす。その頬は薔薇色に染まっていた。

「やめろ!」
その肩を乱暴に押した。体勢を崩したアキがよろける。
「シンジ」
「てめえ一体どういうつもりだ?」
口元を己の甲で拭う。
「どういうって」
真摯な瞳がゆらりと揺らめく。
「…俺は、おまえが好きだ」
短く告げられた想い。
「俺は好きじゃ…」
それ以上聞きたくないとばかりにアキが唇を塞いでくる。
「……っ」
柔らかな感触。
押し付けられるだけのそれは拙いながらも荒垣に違う感覚を運んできそうになる。
これ以上は駄目だ。これ以上は何をしてしまうかわからない。
そう思った時、唇が離された。

「…うそつき」
小さくアキが呟いた。
「俺は別に、おまえのことなんて」
なんとも思っていない、そう、続けようとした。けれどその言葉は唇から零れることはなかった。
どうして言えない?どうして?簡単なはずだ。そう告げるのなんて簡単なはずだ。

「いつもそうだ。シンジは本当のことは言わない」
「アキ?」
「そうやって全部隠そうとして、昔から」
ああ、知っている。この顔は泣きたいのを我慢している時のアキの表情だ。
「俺は…」
別に泣かせたいわけじゃない。
アキのことは…。
幼馴染で、大切な、護りたい人間で…。

--- それで…?

『…そう、誰か好きな人がいるのね』
名前も顔もわからないあの女の声が聞こえた気がした。

気付けばその体を抱き寄せて目の前のそれを塞いでいた。
「…んっ」
息を継ぐように薄く開いた唇に誘われるように舌を進入させる。
何度も何度も角度を変えて、甘く柔らかいその唇を貪った。戸惑いがちな逃げる舌を追って己のそれと絡ませる。
浅く深く---。
飲み込みきれなかった唾液がつと口の端から零れた。やっと唇を離した頃には、アキが力なくその身を預けてくる。
「アキ」
「…シンジ、酸欠…で、死ぬ」
アキの途切れ途切れの言葉に荒垣の口からつい笑いが漏れる。
「笑い事、じゃない。死ぬかと、思った」
「苦しくて?」
「幸せすぎて…」
今なら死んでもいいとそう思った、耳元でそんな言葉を囁かれた。


『致死量のキス』


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