からっぽの心


学生寮ラウンジ。

「ねえ、あいつちょっと遅くないですか?」
「そういえば、そうだな」

ゆかりのその言葉に美鶴は同意してちらと腕時計に目を落とす。
影時間まであと30分を切ったところだ。 寮生の夜の外出は特別に認められてはいるが、今までこんなに遅くまで『彼』が帰ってこないことはなかった。
いつもなら当に学生寮に戻ってきているはずの時間。ラウンジにただ一人姿の見えない彼。なんとなく美鶴の胸に不安が募る。

リーダーたる彼の帰宅がないため、今夜の予定はまだ決まっていない。 タルタロスに赴くのか、それとも今日は待機か、どちらかわからない。
「桐条先輩、どうしましょうか?」
ノートパソコンをぱたんと閉じておどおどと山岸が聞いてくる。

「ちょっとその辺を見てこよう」
気付けばそんな言葉が唇から零れていた。 ソファからすっと立ち上がると、美鶴はポケットに忍ばせていたキーを取り出す。

「えっ、美鶴先輩。先輩があいつ探しに行くの?」
ゆかりが目を丸くしてそう尋ねてきた。
「…少し、胸騒ぎがするんだ」
「それなら私達も…」
「いや、いい。君達はここで待っていてくれ。行き違いになっても困る。何かあったら連絡を入れる」
ソファから立ち上がりかけた後輩達にそう諭す。
「わかりました。それじゃ気をつけて下さいね」
そんな言葉に見送られて、美鶴は学生寮を後にした。


バイクを飛ばして彼の行きそうな場所を回る。
ポートアイランド駅、ポロニアンモール、長鳴神社、巌戸台駅。…思い当たる場所のどこに行っても彼の姿を見つけることはできなかった。

--- あとひとつ、残ったのは月光館学園。

まさかと思った。いくらなんでも夜の学校にいるとは思わなかった。
影時間になると毎夜のように皆と探索するタルタロスの通常の姿。わざわざ今、ここに来る必要などない。
だからこそ、一番最後に美鶴はこの場所へと来たのだ。
鍵のかけられた正門の前、じっと佇んでいる彼の姿を見つけた。 バイクを止め、彼の元へと歩み寄る。アスファルトの上、ブーツがかつんと音を立てる。

「…こんなところにいたのか」
「俺を探しに来てくれたんですか?」
仄かな月明かりの中、美鶴の声に振り向いた彼はにこりと屈託なく微笑んでいた。
「君が、なかなか帰ってこないからな」
「心配してくれたんですか?」
「それは、仲間…だから」
「仲間、ね」
含みを持たせたような彼の言葉。けれどそれ以上告げられることはなかった。

「…それより、もうすぐ影時間だ。タルタロスに行くなら皆と一緒に行動した方がいい」
「タルタロス、ね」
彼はそう言って学園の建物に目を向ける。
「たまには一人で昇ってみたくなりませんか?」
彼の目には何が映っているのだろう?この学園ではなく、もう少し後に現れるタルタロスでも映しているのだろうか?
「危険だ」
いくらペルソナ能力に彼が長けているとはいえ、一人で昇るなど許可できない。
「桐条先輩、俺はね、別に死ぬなんて怖くないですよ」
さらっとなんでもないように彼は言ってのける。
「何を言っている」
「俺にはね、何もないんです。大切な物なんて何にもない。だから死ぬのなんて怖くない」
「君はそれを本気で言ってるのか?」
「本気ですよ。10年前に俺は全部なくしました。だから俺はからっぽなんです。ただの抜け殻」
自嘲気味な笑みを浮かべそんな言葉を彼は紡ぐ。
「一体何の為に生きてるんでしょうね?」
生きる理由などないと彼は言う。
生きながらにして死んでいると彼は言う。
「それは…」

生きる理由など様々だ。
誰かのため、自分のため、何か将来の夢のため。
彼にはそういうものが何もないのだろうか?

「先輩は俺に理由をくれますか?」
唐突に言われたそれ。思わず彼の顔をじっと見つめた。
「先輩は俺に生きる理由をくれますか?」
「何を」

「あなたのことを、好きになってもいいですか?」
腕を引かれ耳元で甘く囁かれたフレーズ。それは心地よく響いた。
「………」
一瞬、美鶴は言葉を失う。
「やっぱり、駄目ですか?」
哀しそうに歪んだ彼の表情。

なぜ、彼を自分がわざわざ探しに来たのか、その理由に思い至った。
仲間だから、それだけじゃない。
彼のことが気に掛かるから。もっと知りたいと思うから。
だから…。

「…駄目、じゃない」
「よかった」
その胸に優しく抱き寄せられ、額にひとつキスを贈られた。
「それならちゃんと俺は生きていける。あなたのために」


--- からっぽの心は、もうどこにもない。


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