雨
いつもの日常。
屋敷からは一歩も外に出られない。
あの7年前の誘拐事件の日からルークが外に出ることは禁止された。
敷地内ならいくらでも動き回れるというのに、外には出られない。出してもらえない。
外出したい気持ちはもちろんあったが、それを言うと母上の表情が哀しげに曇る。
別に困らせたいわけじゃない。悲しませたいわけじゃない。
それが嫌で本当の思いを口にはしなくなった。
ヴァン師匠も今日は来られないという連絡が入った。
どの道、この雨では稽古をつけてもらうのは無理なんだけれど。
師匠と話をするだけでも楽しかった。
ルークの知らない世界をいろいろ教えてくれる。
ヴァン師匠と会っていると、絶たれた外との繋がりがあるような気がした。
たったひとつの楽しみを奪われて、くさくさした気分でルークはベッドに寝転がる。
白い天井を見つめて小さく溜息が零れた。
ガイでも部屋に遊びに来てくれればいいのに。
そうしたら、こんな退屈な時間から抜け出せるのに。
そんなことを考えた。
緩やかだった雨音がふいに大きくなる。
その音につられるようにベッドから起き上がると、ルークは窓へと足を伸ばした。
雨にけぶる視界の中、一人の人物の姿が目に入った。
「…ガイ?」
窓の外、よく見知った彼の名を小さく口にする。
ガイは降りしきる雨の中、傘も差さず、ただ、そこに突っ立っていた。
いつも綺麗にセットされている金色の髪は雨に濡れて、額へと落ちている。
いつから外に立っていたのか、衣服も水分を含んで肌へと張り付いていた。
その表情は憂いに満ちて、視線はどこか空を見つめていた。
「………」
名を呼ぼうと思った。しかし開いた己の唇からその名が紡がれることはなかった。
ルークが呼べばきっとガイはいつもの笑顔を向けるのだろう。
何でもないような振りをして、いつもの笑顔を向けるのだろう。
ガイがそこでずぶ濡れになって、何をしているのかを聞こうと思った。
けれど、自分の知らない表情をした彼に、言葉を掛けることが出来なかった。
そんな気安く声を掛けられるような雰囲気ではなかった。
頬に滑り落ちるいくつもの雨粒が、まるでガイが泣いているかのように見せていた。
しばらくその姿を呆然と見ていたが、はっとルークは我に返る。
こんな雨の中立ち尽くしていればきっと、風邪を引いてしまう。
手にタオルを掴むと慌ててルークはドアノブを掴んだ。
雨音で扉の開閉の音は聞こえない。
ガイは、ルークに、気付かない。
視線は一点を見つめたまま揺らぐことなく。
ガイへと一歩踏み出そうとルークが思った時、ぱしゃり、と小さく水音が跳ねた。
誘われるようにそちらへ目を向けると、傘をさした庭師のペールの姿が目に入る。
彼はルークに気付くと軽く頭を下げた後、首を左右にゆっくり振った。
『ここに来てはいけません』と、そう唇が動いた気がした。
ルークはまるで魔法にでも掛けられたようにそこから動けなくなってしまった。
ただできることといえば、目の前の光景を見つめるだけ。
ペールが傘をそっとガイに差し掛ける。ペールの顔を見てくしゃりとガイの顔が歪んだ。
「………………」
「………」
「…………」
二人の間で交わされる会話はもちろん雨音で聞こえるはずもなく。
なんとなく見ていられなくて、ルークは後ろ手に扉を閉めた。
知らないガイの表情。
いつも笑っているか困っているか、そんな表情しかルークには見せないのに。
ずっと一緒にいるのに、考えてみれば何も知らない。
ガイはルークのことをなんでも知っているような気がするのに、ルークは…。
何も知らない。何も知らないんだ。
扉を背にずりずりとその場に座り込む。
--- 雨音は、しばらく止みそうになかった。
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