たとえ君が忘れてしまっても


待ち合わせのカフェ。
甘く優しい香りを放つミルクティ。
研究用の資料に目を通しながら、彼が来るのをじっと待つ。

「すまん。待たせたな、ジュード。あ、おねーさん珈琲ひとつね」
「アルヴィン」
自分に向って片手を上げるその姿をみとめて、ジュードは小さく微笑んだ。

「お待たせしました」
ウエイトレスによって運ばれてきた珈琲。それは馥郁とした香りを辺りに漂わせる。
アルヴィンは、琥珀色のそれをゆっくりと口に運ぶ。

「研究の方はどうだ?」
「うん。ちゃんと前に進んでるよ。実用化に向けて頑張ってる」
「そうか」
「アルヴィンは?」
「俺も順調かな。お得意様も増えてきたし」
「ユンゲルスさんに、迷惑掛けてない?」
そう言って悪戯っぽく笑うと、アルヴィンが肩を小さく竦めた。
「やれやれ、ホント信用ないねえ。ジュード君、昔の俺とは違うんだよ」
「冗談だってば。信用してるよ」
くすくす声を立てて笑うと、アルヴィンも笑みを返した。

「…それで、今ルドガーはどんな感じだ?」
軽口を叩いてたアルヴィンの声のトーンががらりと変わる。
ずっと聞きたかったのだろう。
大切な仲間の一人であるルドガーの近況を。

「うん。日常生活には支障はないよ。ただ…」
それ以上続かない言葉。
両手におさめたカップの中身をジュードは意味なく回す。
ミルクティが描く小さな渦に視線を落した。
「…やっぱり、思い出せないのか」
アルヴィンがそう続けた。
力なく首を縦に振る。
「僕たちのことは、わかるんだ。仲間…というか友達っていう認識で。
どうやって知り合ったとか、そういうことはひどく曖昧なんだけど」
「あの二人のことは」
「…うん。何も憶えてない」

ルドガーが大切に思っていた人たち。
兄ユリウスと、エル。
その二人のことだけ、彼の記憶には残っていないのだ。
あんなに大切に思っていたのに。
すっぽりと抜けてしまった記憶が、彼の受けたダメージを物語る。

この世界のために 彼は 大事なものを失くした。

「元気出せよ、ジュード」
「…アルヴィン。僕はひどいやつなんだ。
僕はたとえ記憶をなくしても、ルドガーが生きてくれていて、よかったと思うんだ。
ルドガーが生きててくれるなら、辛くて悲しい記憶なら、このまま思い出さなくてもいいと…」
「それは、俺も同じだ」
大きな掌が労わるように優しく髪を撫でる。
そのあたたかな感触に、ジュードは泣きたくなった。



「おかえり、ジュード。早かったな」
エプロン姿の彼が笑顔で出迎える。
「ただいま、ルドガー」
「夕飯できてるぞ。手、洗っておいで」
「うん、ありがとう」
にこりと微笑みを返すと、言われた通り洗面所へと足を運んだ。

テーブルの上。
並べられたのは『彼』の好きだった料理。
綺麗な赤で彩られたそれは、所狭しと埋め尽くされている。

「ふふ、ルドガー。ずいぶんたくさん作ったね」
「そうか?…好きだったろう、トマト料理。…あれ、違ったか?」
言いながら、ルドガーが首を傾げる。

--- ああ、心が壊れても憶えているんだ。

「違わないよ。ルドガーの作るトマト料理好きだよ」

それを作ってあげたかった相手は『僕』ではないのを知ってる。
けれどもう、その相手はいないから。
僕は彼のほしい言葉をあげる。

「ルドガーの作る料理はどれもおいしいから。特にトマト料理は絶品だね」
そう告げると、ルドガーはすごく嬉しそうに笑った。

たとえ君が忘れてしまっても。
たとえ君が思い出せなくても。
たとえそれが僕に向けられた笑顔でなくても。

この笑顔を僕はずっと守りたい。
彼の愛した人たちの分まで。


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